2020.08.27 07:00 女性セブン
中島みゆき、6年前に母を亡くしていた ここ数年仕事セーブ
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帰る頃には、肩に提げているキャリーバッグが荷物でいっぱいに
《運命の糸って私はあると思う。でもその糸は、たまにほつれる。そして切れることも…ある。でもまたそれは何かにつながる。生きていれば必ず何かにつながる。そういうふうにできているんじゃないのかな、世の中って…》
8月22、23日と土・日の全国映画動員ランキングにおいて、初登場でトップに立ったのは『糸』(瀬々敬久監督、東宝)。13才で恋に落ちた高橋漣(菅田将暉・27才)と園田葵(小松菜奈・24才)の仲が、ある出来事によって引き裂かれる。
離れ離れになったふたりは8年後、偶然が折り重なって再会。さまざまな人との巡り合いや、人生の岐路を乗り越え、大きな決断をする――。
冒頭のせりふは、漣の妻・桐野香(榮倉奈々・32才)が亡くなる前に夫に発したもの。この言葉をきっかけに、切れたはずの糸がまた紡がれていく。
ほつれて、切れて、そしてつながる「運命の糸」が物語のモチーフになっているのには、理由がある。この映画は、1992年に発売された中島みゆき(68才)の名曲「糸」を映画化したものなのだ。音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんが語る。
「中島さんは自分の作った曲について、一切説明や解説をしません。自由に聴いて、解釈してもらうことが彼女のスタンスなんです。自身のプライベートを表に出さないことも、自分のすべての思いをぶつけている歌詞や曲を、先入観を持たずに聴いてもらうためです」
歌に秘めた思いや、近況を明かすことはない中島。
「横の糸」である彼女が、最愛の「縦の糸」を失ったことは知られていなかった――。
亡くなった母を思い続けて
8月下旬、うだるような暑さの昼下がり。紺色のハットにメガネ、マスクを装着して、黒のパンツに白い上着を合わせた中島が、都内の老舗百貨店に颯爽と姿を現した。
リュックサックを背負った彼女はテキパキと食料品などを選び、素早く買い物を終えると都内の邸宅に帰宅した。めったに姿を見せない「歌姫」が、わずかな時間だけ、下界に舞い降りたかのようだった。
実際、中島はテレビ、ラジオから雑誌にいたるまで、メディアに登場することは極端に少ない。かつては深夜放送のディスクジョッキーを長く続けたが、それも声だけのラジオ出演だった。
特にテレビ出演は希少で、2002年の『NHK紅白歌合戦』で『プロジェクトX』の主題歌だった「地上の星」を歌い、2014年の紅白でNHKの朝ドラ『マッサン』の主題歌「麦の唄」を熱唱した以外はほとんど出演していない。
また、プライベートも秘密のベールに包まれている。1980年代後半に、あるギタリストとの“朝帰り”を写真誌に撮られ、2003年に舞台演出家との交際が報じられた以外は、恋のウワサもほとんどなく、古希を控えた現在も毅然として独身を貫く。
だがそんな中島の人生に大きな変化があった。
「実はいまから6年前の2014年末、みゆきさんは最愛の母を病気で亡くしています。彼女はそのことを公表していませんが、いまも毎日、亡き母親を胸に思い浮かべながら過ごしているんです」(中島の知人)
これまで中島は母についてほとんど語っていない。
「彼女は産婦人科医だった父親についてはたまに口にすることがあり、1976年に父親が逝去したのちは『まつりばやし』という歌で父への思いを明かしました。1994年出版の自著『ジャパニーズ・スマイル』(新潮社)では『私はファザコンである』と宣言しています。しかしその一方で、みゆきさんが母親について公に語ることはほとんどありません」(中島を知る音楽関係者)
中島は北海道生まれ。父、母、弟の4人家族で、幼い頃は産婦人科医だった父の勤め先の都合で道内を転々として育った。
「父親は厳格なかたで、子供たちを厳しくしつけていました。母親は山形の名家の出身で、近所でも評判の美人。幼いみゆきさんは両親を『お父さま、お母さま』と呼んでいたそうです」(前出・中島の知人)
ただ買い物にいくのに服装ちゃんとしてるんだな
山形の名家なんだ
じゃあゴイステと銀杏のドラムもか
峯田は農村部の電気屋のせがれ
>>1
こういうの盗撮にならんのかね
スーパーで買い物した とかそこまで記事にするのは可哀想
2010年頃、母親が自宅で転倒してひとりで歩けなくなり、車いす生活を強いられるようになった。
「みゆきさんは忙しい毎日のなかでもヘルパーや家政婦を雇わず、自分の手で率先してお母さんを介護していました。
タクシーで一緒に出掛けるときには、折り畳み式の車いすを出し入れしてお母さんに寄り添っていました。
彼女にしてみれば、苦楽をともにした母親を、何があっても最期まで看取るつもりだったのでしょう」(前出・中島の知人)
前述の通り、中島が母親について語ることはきわめて少ない。
だが約40年前に母親と東京で暮らし始めた頃、彼女は新居について問う『週刊宝石』(1982年10月16・23日号)の取材に、めずらしくこう答えている。
《仕事はやはり東京が多いので、母親も年をとったし、1日でも一緒に住みたいっていうところです》
しかし2014年に母親の体調が急変した。一日でも長く一緒にいたいと願う娘の必死の介護も及ばず、この年の末に母親は息を引き取った。中島は母親に残された時間を感じていたのかもしれない。
「2014年の『マッサン』の主題歌を最初は引き受けるか迷っていたみたいです。みゆきさんの曲は、さわやかな朝には向かない人の本質を描くような作品が多かったですから…。
でも、物語のすばらしさと、お母さんが大の朝ドラファンだったことが決め手のひとつになった。
故郷の北海道を思わせる『麦の唄』は、お母さんの介護をしながら、家族4人で幸せに暮らしていた頃を思い出した彼女なりの郷愁だったのかもしれません。
夜型だったみゆきさんはこれまで一度も朝ドラを見たことがなかったみたいですが、お母さんがあまりにうれしそうに見るので、一緒に見て感想を話したりしたようですよ。
でもお母さんは『マッサン』の最終回を迎えることなく、亡くなってしまって…。
みゆきさんは決して人に明かしませんが、大きな悲しみを背負ったはずです。2017年に発表した『慕情』もお母さんへの思いをしのばせるような内容の歌詞です」(前出・中島の知人)
最愛の母を失った中島は、ここ数年かけて仕事をセーブしつつある。2013年4月にスタートした『中島みゆきのオールナイトニッポン 月イチ』は2018年9月に終了。全国ツアーのライブも今年で最後になる予定だという。
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
もうおばあちゃんだよ
>全国ツアーのライブも今年で最後になる予定
そのツアーもコロナのせいで中止になってる
今年中に、代替えツアーやってくれないかな
次のツアーが実施できれば
それで引退するって言ってたし
みゆきさんも新型コロナで先が見えないし
このままツアーは終了かもな
あんまりこういう写真を掲載するなよ
呪いみたいなもので歌の力で縛られて結果的に結婚も子供も出来ず不幸?な女たちをたくさん作ったと思う。
『負け犬の遠吠え』を出した酒井順子が
『ユーミンの罪』て出してたな
みゆきの歌に結婚しなくても良いなんて歌ないけどなw
初期の別れ歌群でも惚れて健気で意地っ張りでもう恋愛しなくてもいいって強がりつつまた惚れるんだろうな、って女を歌ってるのが多い
なんかガッカリ感があるのは何故だろう
>>19
吉田拓朗と結婚できなかった理由も?
中島みゆきが「ええかげんなやつじゃけーーーん!ほっといてくれへんさーい」
って歌ってる夢を見た事があるのは内緒
母親が亡くなったのも納得
菅田小松コンビで若い世代、中島みゆきで中高年と幅広く集客できてるんだろうな
公開時期延びて、テレビCM流す期間も必然的に長くなったのもよかったのかも
テレビ番組もそうだけどみんな新作待ち侘びてる感あった
先行公開でみたけど
みゆきファンには不満だわ
> みゆきさんは決して人に明かしませんが、大きな悲しみを背負ったはずです。
> 2017年に発表した『慕情』もお母さんへの思いをしのばせるような内容の歌詞です」(前出・中島の知人)
知人の妄想
ポプコンの局を突然変更して唄ったのが
時代
父親が倒れて意識不明のままの時期だからそのせいと言われている
まつりばやしに出てくる「お前」とは中島の父のことだって記事を
読んだ記憶がある。
歌の背景をめったに聞かない人だったので、新鮮な驚きを覚えて
いる。
行けない場所でも無いだろうニューヨークぐらい
久し振りに黒部ダムトンネルでの熱唱映像を観たら、やっぱり震えた。
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